魂宮時

舞樂32 

「食とは生きることなり、食物とはいのちなり」

大きな津波が日本を襲い、沢山のいのちが奪われた...
生きること、いのちの有難さを考えさせられる...

生きることは食べることなり、他のもののいのちを頂くこと、そのもののいのちを頂いて自分のいのちを育むこと食なり。

無駄な殺生を止め必要なときだけ必要な分を頂こう。

こんなに資源はあるのに今必要な人達の手の届くところにはない...
不憫でならない、それでは意味がない...

それでも生産工場は止まらない、止められない、始める勇気もすばらしいが止める勇気も等しく素晴らしい。

今回のことで安定安心なんてものはいつ何時消えてしまう幻想のようなものだと知り、いかに生きていくのか?の重要性を改めて考えるきっかけになった。

日本人のDNAにある忍耐の強さは誇るべきことであり、それが身体に素直な日本人の姿である。

西洋と東洋の食文化、生きることすなわち食べること、食事の作法を観てもその生き様(精神性)はあらわれている。

西洋では食物に自ら口を近づける動作を目にするが、東洋、特に日本では器を自らに運び食物を頂く。
食物と人との関係性に攻めの姿勢と待ちの姿勢が見えてくる。

食すなわち生きることへの姿勢ではないか
攻めの狩猟民族と待ちの農耕民族そんなDNAが今も日本人の身体には宿っているのだ。

だからなんだって?っおっしゃる方もお見えになるかと...

そんな身体と精神性の基礎を持つ生き物が常に攻めのシステム現代社会に合わせて生きること多大なストレスにほかならない。
自分に無関心で自分のことに無意識の領域が有り余り意識の範囲が狭いため気がつかない。

こころが狭い範囲に束縛されているため、身体も緊張してしまう。
意識=外的働きと、無意識=内的働きのバランスは崩れ健康を損なう。

自然体とは何か?
意識しない姿であること
無意識の領域を知っている姿であること
その身も心も静かである。


私の好きな老子の言葉を紹介します。

微小な事柄に気づくこと
明と名付け
柔を守ることを
強と名付けよう
こうなれば五感はますます冴え
根源の光明に立ち帰り
身心に災いを遣すことはあり得ないのである
これを永遠の静寂と名付けるのである

「老子(全)」第五十二章より

こんな身心にだれでもなれます。
理解(頭)ではなく体感(経験)が重要です。
昔の偉い人が言ったおとぎ話ではありません。
始めるかどうかだけです。
根気は要ります。
頑張りは要りません。
脳ではたどり着けません。
脳を含む身体全てです。
外にではなく内を自由にする必要があります。
こころをではなく、こころを含む身体そのものをです。

書の作品は字ではなく余白を含むすべてにあります。

ダンス作品はダンサーではなくダンサーを包む空間すべてです。

意識を局部ではなく全体に...

全体が見えれば局部は自由に。
自由になればおのずと秩序があらわれる。

それ自然なりチャンチャン

by newflavor | 2011-04-01 13:32
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